コンピュータと子供の付き合い方

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10年後にAI技術が生活の至る所に入り込んで来ることは、ほぼ間違いありません。

そのため、今の時代、本来は小学生からコンピュータに慣れ親しむことが必要かもしれません。

ただし、幼年期からコンピュータに慣れ親しむことによる弊害については、あまり語られておらず、子供を持つ親としてはコンピュータとのスタンスに悩むところですね。

★ ★ ★

最近、周りの親から連絡用などの理由でスマホを持たせている様子も良く耳にするようになった。

「スマホが欲しいって言わないんだね」

そう声をかけると、中学生になった二人は不思議そうな顔をしてから、二人で顔を見合わせた。

「父さん。持たせたいの?」

二人のこの言葉を聞いて初めて、わたしは「子供にスマホを持たせるべきか」「持たせるとして、いつから持たせるべきか」明確な検討と答えを持っていない事にハッと気づかされた。

「ふたりが要らないなら、持たなくていいよ。」

二組の目にじっと見られて、とっさにそう答えるしかなかった。

ゆうきは少し怪訝そうな顔で言った。

「父さんは、僕たちがスマホ持つ方がありがたい?」

「いや。」

答えがないときは、彼らの真っすぐな目が痛い。

早くこの場を離れたいと思うほど追い詰められ、わたしは降参した。

「ごめん。お父さんも実はよくわからないんだ。今、持たせる方がいいのか。」

既に、人間の器としては息子たちに追い抜かれている。

あとは正直さと誠実さを持って接することくらいしか誇れることはないな、とわたしは思った。

「ふーん。じゃあ。欲しいと思ったら父さんに言ったらいい?」

「そうだね。」

明日買ってって言うかもよ。とじげんがニヤッと笑った。

それから1か月ほどして、ゆうきとじげんが2つの事をお願いに来た。

「父さん。スマホの件なんだけど。・・・WiFiルータじゃだめかな。」

わたしはあまりに意外な答えに、新聞の上へ自家製コーヒーをこぼしそうになった。

「ノートパソコンでも繋ぎたいの?」

「それができればありがたいけど、スマホの代わりだからWiFiルータ1台とタブレット1台あれば、友達からパソコン借りてつなぐこともできるし、クラブの遠征先でも繋げられるし便利かなと思う。」

「タブレット2台なくていいの?」

「二人で貯めてる小遣いで、中古のタブレットをもう1台買うんだ。僕はタブレット1台だけで、じげんはWiFiルータに通信機能がないタブレットで無線LAN接続して使う。」

「ふーん。」

そもそもタブレットじゃあ電話連絡を受けるとき困るんじゃあ・・・と思ったが、二人の事だ。何か対応方法があるのだろうと思って言うのをやめた。

実際、小型タブレットを通信機能ありとなしで2台そろえて、通信機能なしの1台はWiFiルータと一緒にじげんが持つことになった。

それから、友人から借りてきたノートパソコンをWiFiルータにつないで、無料のタイピングソフトでブラインドタッチを習得したり、2つのタブレットでLINE通話したり、通信機能のありなしを比較したりと、双子なりに創意工夫をしていた。

将来的には、二人とも2年後の機種変更でテザリング機能のあるスマホに乗り換えて、タブレットと2台持ちすることになり、その時には「もっと大きなタブレットを買えばよかったなぁ」と言う事になるのだが、初期導入のタブレット選択としてはやはり面白い視点だったと思う。

また、それだけでなく、最近無料で講習を行っている、スマホ使い方教室や、市町村がやっているAIプログラミング研修などを有効に活用して、あっという間に最新のITスキルを手に入れた。

親が何も言わなくても成長するのは、ある意味、恐怖であり寂しくもある。

しかし、子供たちの成長を目的とする子育てであるなら、これが当たり前の姿なのかもしれないと自分に言い聞かせた。

中学生の成長

大成功に終わった小学校卒業式の喧騒が、まだ記憶に新しい頃。

ゆうきとじげんは中学生になった。

野球を通じた中学時代の過ごし方

少年野球に取り組んだ生徒は、春休みに中学の野球をどのチームで過ごすか頭を悩ませる時期だ。

しかし、彼らの場合は周りの選手たちが硬式野球チームや軟式野球チームに見学にいく時期には、既に中学校の野球部部活動しか頭になかったようだ。

同じチームのレギュラーからは家に何度も押しかけて「〇〇チームで甲子園を目指そうよ。」と話もあり、場合によっては、親御さんやコーチまで色んなチームに勧誘があったが、彼らは終始一貫「中学は部活動でやります。」と笑顔で即答していた。

「費用の事を心配してるなら、出してあげるよ。」

その度に彼らにそういうのだが、双子の中では「大丈夫。任せて」と意志が非常に固かった。

そして、時々、二人はキャッチボールに出かけていた。

どうも、強肩外野手だったじげんは、投手に挑戦してみようと思っているようだ。

というよりも、捕手で活躍したゆうきが、じげんを投手にさせようとしているのかもしれないが。

二人には二人の考えがあるようだったので、親としては情報だけ渡してあとは見守るだけだ。

中学生になってしばらくして、二人は男子中学生らしく口数がグッと少なくなって会話する機会は減った。

しかし、常にお互いのサポート役になることで、どちらかが理不尽な仕打ちを受けた場合には、お互いに相談してガス抜きや対策を考えたりしているようだった。

ときどき、「とうちゃん。バッターボックス立ってみて。」という声がかかるが、大抵はデッドボールの危険がある内角を攻めるカーブとスライダーの練習のためだ。

藁人形ではどうも人相手に内角を投げ込む練習にならず、また、友人では当てたら可哀そうという事らしい。

「俺は可哀そうじゃないの?」

とは愚問なので聞かなかった。

中学校の野球チームは1年生から3年生までが1チームなので、1年生はほぼ草むしりや道具手入れ、そして、筋肉トレーニングが仕事だ。

「勝負は2年生の春だね。」

二人は常にそう言いあっていた。

3年生の最後の大会が5月から開幕し、早ければ6月には事実上引退となる。(卒業間近に引退試合はあるが。)

そのため、2年生の春までに頭角を現せば2年生でレギュラーを取る事も不可能ではないそうだ。

幸い先輩も含めて勉強もしっかりさせるチームで、赤点や補修があるとレギュラー落ちする独自ルールがあるため、野球部は全体的に成績がよかった。

今更ながら、彼ら二人の野球チームを選ぶ慧眼には驚かされる。

自分の行く末の徹底した吟味

(そういえば、まだ1月くらいの段階で、難しい表をつくってたなあ。)

ぼんやりと思い出すと、硬式軟式含めて7チームと中学校の部活の4つ、そして帰宅部と、合計12個の選択肢について、「将来性」「レギュラー」「文武両道」「楽しさ」「友人」「通えるか」・・・と沢山のチェック項目で点数化したマトリクス表を作っていた。

その項目には「甲子園の可能性」も含まれていた。

彼らの中では既に何度も吟味し尽くしていたので、後から大人に勧誘されても自信満々で自分の道を貫けたのだろう。

いくら大人びているとはいえ、中学2年生の多感な頃だ。

やはり、甲子園が頭にないわけじゃないとわかって、その時は少し安心したものだ。

妻からは「色々と言いたいことがあるんでしょう💛」と顔を覗き込まれる事が多くなった。

「わかる?」

「うん。顔に出てる。でも、よく我慢してるね。」

まあ、私の提案があの双子で相談した結果以上でもない上に、そもそも間違っていてもやってみて自分で気づく事が最大の成長だ。

子供を信じるというより、もはや疑う事をやめる事にしたのだ。

少し寂しいが、聞かれた時以外は口をはさむのをやめる事にした。

逆に、今年の家族旅行の計画でも相談してみようかな。

中学校時代

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この時代は中二病という言葉がある通り、子供も大人も試練の時代かもしれません。

ウィキペディアで中二病とは「中二病(ちゅうにびょう)とは、中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。 」と記載がある。

この時代が難しいのは、自分の子供だけでなく、自分の子供の友人関係も含めてこの世代を取り巻く雰囲気全体が特殊な感覚に包まれている事です。

そのため、「中二病がこういう特性なので~したほうがよい」と正面から子供と向き合って、そのような特性を表に出さないように話をしたとしても、逆効果です。

子供はすぐにその世代の住人としての生活を余儀なくされることから、逆に子供と世代の間の乖離を生むことになり、余計に深刻な事態になる危険もあります。

数年の事ですので、親世代としてはあまり気にせず、どんなに失礼な言動があっても、さらっと流すのがよいかもしれませんね。

逆に、身長や声変わり、お化粧等、外見も大きな成長がみられる世代です。

スポーツをされている生徒なら、身体能力が爆発的に向上する世代でもありますので、いい意味で切磋琢磨できる友人たちがいれば、楽しく充実した世代となるでしょう。

多少間違えたとしても、自分で判断して自分で失敗から正しい道を見つけていく事が大事で、この世代で挑戦した事は後々の世代でも大きく生きてくると思います。

一日中、失敗のない生活をするよりも、朝から晩までやりたいことに挑戦させて多くの経験をさせたいものです。

中学生の成長

卒業前の小旅行

今日はゆうきとじげんと三人で、河原の近くの公園にキャンプに来ていた。

元々は、お母さんが三人目の子供を授かったことがきっかけだ。

しばらく入院することになり、急に母のいなくなった自宅が寂しくなったと双子たちが口を揃えて言うもんだから、ちょっとした旅行に行くことにしたのだ。

色々と案が出てはなくなりを繰り返したが、最終的にゆうきの「清流の近く」という意見と、じげんの「キャンプファイヤー」という意見が両立するひなびたキャンプ場を見つけた。

ぱきぱき…

薪が音をたてて燃えるなか、ゆうきとじげんはぼんやりと赤く燃える火の中を見ている。

食事(簡単なカレー)も終わったので電気発動機を停止させてポータブルバッテリーだけにすると、あたりは急に静かになった。

「とうちゃん。これ持って帰る?」

ゆうきが食事に使った紙皿を指差すと、じげんが燃やして墨にしちゃおうよとイタズラっぽく笑った。

わたしは散々食べて満腹だったので、後で炭を片付ける時に拾える燃え殻だけ拾ってもいいかなと頷いた。

「そうだ。」

じげんは何かを思い出したようで、テントからごそごそと何かを取り出した。

出してきたのは、お爺ちゃんに二年越しで誕生日プレゼントとして買って貰ったAIミュージックプレーヤーだ。

「静かな曲をかけて。できればビートルズ。」

じげんがそう言うと、ギターの音が焚き火でうす赤く照らされたキャンプ場に広がった。

ゆうきも「いいねえ。」と思わず、エアソファーの背もたれに身を任せて天を見た。

しゅぱっと私が第三のビールを開けると、二人もずるーいとばかり、ケトルでお湯を沸かしてココアを作り出した。

山ほどの道具を持ってきたかいがあったようだ。

「とうちゃんは中学校楽しかった?」

じげんが銀色の手作りポップコーンを炙りながら、聞いてきた。

「うん。楽しかったよ。」

「中学校って小学校と大分違うのかな。」

「違うねえ。」

「何が違うの? 授業? 先生?」

「うーん。何がって訳じゃないけど、全体的に大人扱いされる事が増えたり、クラブ活動も本格的になったりするね。まあ、楽しいと思うよ。」

二人ともふーんと言ってから、星を見上げてしばらく黙った。

「不思議だなあ。宇宙の歴史から見ると人間の歴史って一瞬なのに、その一瞬で沢山の人が泣いたり喧嘩したり仲直りしたりしてるんだね。」

ゆうきは時々、遠くを見てこんなことを言う。

「あっという間だよ」

と、わたしは言った。

「俺だって、おばあちゃんにお弁当作って貰って中学校行ってたの、ほんのちょっと前に感じるよ。だから、今のうちに人生を・・・」

二人はわたしの言葉を遮って言った。

「楽しめよ。でしょ。」

もはや耳タコらしい。

じげんがお茶漬けの素で残りのご飯を食べようとするのをみて、ゆうきは「まだ食うのかよ」とあきれていた。

しかし、ゆうきの足元にも、空になった甘いもの系のお菓子袋がいくつも散らかっていた。

ゆうきの将来の彼女は、チョコの作りがいがあるだろう。

文武両道は結果

誰でも、最初から何でもできた訳ではない。

エリートや天才・秀才と呼ばれる方たちは、そうなるまでに人の倍以上の逆境や挫折・苦労を味わい、それに対して正面から泥臭く立ち向かっていた。

そして、部外者はその結果だけを見ているのだと、子供に教えられた話を書きます。

久しぶりに在宅勤務をしていたら、玄関の扉がゆっくりと開いた。

「とうちゃん。俺、今日は素振りしない。勉強する。」

ゆうきが帰ってくるなり、ふくれっ面でそう言った。

別にわざわざ宣言しなくても・・・と思ったが、多感な年齢でもあるので、

「そうか。わかった。」

と笑顔で言った。

しばらくして、じげんがドタバタと帰って来て、

「とうちゃん!とうちゃん!ゆうきは?」

とハアハア言いながら聞いてきた。

「二階にあがったよ。」

「泣いてた?」

「いいや。全く泣いてなかったよ。何かあったの?」

じげんは最後まで聞かずに、ドンドンドンドンっと階段を上がっていった。

確かに、ゆうきの態度は珍しく不機嫌だったな。

ちょっと、泣いていたような気もするが、否定しておくのが無難だろう。

ゆうきの挫折

後から聞くと、小学校の校内ソフトボール大会で、ゆうきのいる2組とじげんのいる4組が1回戦で対戦して、2組がこっぴどく負けたらしい。

元々、じげんのいる4組はやんちゃな子供が集まっていると聞いていたが、不良っぽい子供たちを球技大会実行委員だったじげんが説き伏せて、優勝目指して真面目に練習させて、最終的に学年優勝したそうな。

しかも、じげんはずっと実行委員で裏方の仕事をしながら、決勝戦で敗色濃厚な所に代打で出場してヒットを打ち、持ち前の諦めないハートがチーム全体に火をつけて大逆転勝利のきっかけを作ったという。

4組の不良たちは、優勝の勢いで優等生で有名なゆうきに対して、色々と嫌な事を言ったのかもしれないなあとぼんやりと思った。

「4組のじげんの方が、2組のゆうきより、頼りになるぜ!」

とか4組の不良グループのみんなに言われてたら、相当辛かっただろう。

晩御飯の時間になって、ゆうきもじげんと仲良く階段を降りてきたので、吹っ切れたのかなと思っていたが、お母さんの話では結構、傷は深かったようだ。

確かに、それから約一か月の間、ゆうきはあまり笑顔がなかった。

1か月後、ゆうきは算数の実力テストで学年トップの結果を持って、笑顔で意気揚々と帰ってきた。

小学校のテストなので真剣に取り組んだら誰でもトップを取れるかもしれないが、じげんも含めて家族みんなで喜んだ。

じげんの挫折

しかし、しばらくして、まったく逆の事が起こった。

これは私も現場を見ていたので、彼らやお母さんから説明を受けなくてもよかったが、目の当たりにすることで、逆に心が痛んだ。

発端は野球チームで、ゆうきがファーストに抜擢された事だった。

ずっと、外野手だったゆうきだが、じげんの速い暴投を捕球することで、ショートバウンドや大きく上や横にそれる球をジャンプして取る事に慣れたようだ。

本当に人間は上手くできている。

文句も言わず、相手のためにさりげなく努力していたことが、結局は自分の技術として返ってくるのだ。

私なら同じことができるか?

自問自答するまでもなく、できないと思う。

じげんに文句を言って喧嘩するか、上手く説得してちゃんと投げさせるのが関の山だろう。

ゆうきのファーストでの高い捕球力は、すぐにチーム力向上や勝利数に結果として現れた。

ゆうきは内野からの送球が暴投になることを最初から想定しているようで、通常のファーストの構えでは全くなかったが、暴投でも後ろにそらす事はなく、チームのエラー数が激減することでチームはたちまち地域でも常勝軍団となった。

ゆうきは大レギュラーとして、ショートやサード、キャッチャーを転々とすることとなり、そのたびに、じげんは驚き、「いいなあ。」とぼやくのだ。

ある日の試合で、ゆうきは公式試合で正捕手として先発出場することとなった。

じげんも頑張っており、センターを任されて、外野全体の要として活躍していたが、野球関係者でもなければ彼の頑張りに気づくのは難しかったろう。

特に、小学校6年生の女の子には。

当時、じげんのいる4組で一番人気だった清楚なお嬢さんが、なぜかこの日に公式戦の試合を見に来ていた。

どうも、相手チームに弟が5年生として出場するので、家族で応援に来ていたようだ。

試合展開を説明すると長くなるので割愛するが、ご想像の通り、ゆうきが大活躍の日だった。捕手として投手が四球を出す度に二塁盗塁を阻止し、満塁で走者一掃の三塁打。投手が疲れて自信を失っても、マウンドで面白い話をして笑わせてやる気にさせ完投させた。誰が見ても好感が持てる大活躍だ。

一方、じげんは、4組の清楚なお嬢さんの影響か、3三振。

(じげんも意外と女の子に影響を受けるんだな・・・)

私はそんなことを思いながら、なんだか少し安心した気持ちになった。

ただ、試合後、4組のお嬢さんはゆうきに声をかけて、帰っていった。

「かっこよかったよ。」

その言葉を、じげんはどんな思いで聞いただろう。

以前のゆうきと全く同じように、それからしばらく、じげんはガリガリにガリ勉を始めた。

結果は言うまでもなく、双子の兄と全く同じ結果(算数学年1位)を持って帰った。

しばらく、後になるが卒業前には、4組の清楚なお嬢さんからバレンタインデーの手作りチョコをもらったそうな。

これにも、ゆうきを含めて家族みんなで喜んだ。

文武両道は単なる結果だけのこと

野球が調子が悪い時は勉強で、勉強が調子が悪い時は野球でと、その時々でやりたい方を頑張る事で、結果的に

「あの双子ちゃんは文武両道で何をやらしても、トップなんだから」

と言われるようになった。

しかし、彼らにしても、最初から文武両道を目的にしていた訳でもないし、ただ自分のその時々の心の動きに泥臭く正面から向き合って行動しただけだ。

嫉妬・屈辱・落胆というマイナスのエネルギーを、プラスの方向に使う事は意外と難しい。

彼らは既に、マイナスのエネルギーをマイナスのまま放出させても、足を引っ張りあうだけで、自分も周囲も成長がなく、今日と同じ現実がまた未来も続くことを知っているようだ。

自分の弱さを認め、そのエネルギーを成長のために使う。

小学校高学年の時点で、既に親を大きく越える成長を遂げていると感じる。

これは勉強だけさせていても、得られなかった成長かもしれない。

彼らにとっては文武両道という言葉など、近所のおばさんが挨拶に使う言葉くらいにしか意識はないだろう。

実際に、彼らに野球も勉強も頑張ってトップを取れと間違って言ったとしても、「えー。めんどくさい」と言って、かえって逆効果だろう。

自分が本当にしたい事自分が本当に評価してほしい人を意識している彼らに取っては、「不特定多数の目から見た文武両道の評価」など全く興味がないため、何のモチベーションにもならない。

「今年初めての試みだけど、卒業生からサプライズで在校生と先生方にプレゼントするんだ。」

小学校卒業間際で、卒業式プロジェクトの実行委員に選ばれたじげんの話を、ゆうきは「うまくいくかなあ。」「一発勝負の卒業式で大丈夫?」という疑心暗鬼の顔で聞いていた。

「じげん。俺にとっても大事な卒業式なんだからな。大荒れは嫌だぞ。」

「わかってるって。ゆうき。」

ふと、二人の中学校生活も楽しみになった。

諦めない執念

5年生や6年生の野球チームでは、公式戦も含めて試合が多い。

試合というのは見ている親にとっても心動かされる事があり、単なる習い事をさせている感覚が段々なくなってくる。

初めての先発出場

早朝から選手を配車で送るのにも慣れ、チームのみんなが一丸となって相手チームと戦う高揚感に、次第に週末が楽しみになった頃、ゆうきとじげんは6年生になっていた。

毎日が野球中心で親も子供も楽しくて、親子の会話もポジションがどうだとか、グローブがどうだとか野球が中心になっていきました。

二人とも始めたのが遅かったのですが、常に練習相手がいる双子の強みや、持ち前の楽観主義と前向きさで、どんどん技術を吸収していきました。

例のタカちゃんのお母さんにも、「やっぱり。何をやらしてもすぐに吸収して。天才はいいわね。でも、もったいないわよ。勉強させないと。」と言われはじめました。

「もう少し早くチームに入れてやればよかったかな。」

楽しそうな二人を見て、そう思う事が増えてきました。

ある日の試合。

ダブルヘッダーの2試合で、両チームともメンバーを変えて戦う試合。

ゆうきとじげんは、ライトとレフトで初めて先発出場した。

二人とも周囲には「いつもながら、冷静だね。」と言われていましたが、親から見ると緊張しているのがよくわかります。

「じげん。」

「うん?」

守備に着くとき、ゆうきがじげんに声をかけていた。

「最後まで笑っていよう。」

「・・・そうだね。」

高学年になると、結構、打球が外野に飛んでくる。

取れそうなフライを安全策でワンバウンドにしてしまう等の弱気なミスもあったが、その後、難しい球を頑張って止めて長打になるのを防いだ好プレーもあった。

ゆうきとじげんだけでなく、センターの選手も含めて、外野が大忙しの試合でした。

乱打戦の中、5点リードで最終回表を迎えた。

2アウトを取ってランナー無しの所から、じげんの所にフライが飛び、これまでノーエラーの安定感から楽々で試合終了かと思った瞬間。

じげんは落球してしまった。

「あ。」

おもわず、見ていたわたしの方が声を上げてしまった。

逆境で見せた双子の執念

まあ、こんな事もあるだろう。

後で暖かいコーンスープでも入れて慰めてやろうと思っていると、なんと次も同じようなフライで、じげんは落球した上に、慌ててボールを蹴ってしまい、もたもたしている間にランナーは2・3塁になってしまった。

この時のじげんの気持ちはどうだっただろう。

そして、ゆうきの気持ちは・・・。

さらに、試合は暗雲が漂ってきた。

試合終了間際の2つの落球で、ピッチャーも気持ちが完全に切れてしまったのか、そこから3ファーボールで連続押し出し。

さらに、急遽、交代して出場することになったピッチャーも明らかに準備不足でファーボールを出してしまい、さらにストライクを取りに行った所を逆転大ホームランを浴びてしまった。

交代してワンアウトも取れずに逆転打を打たれた5年生選手は泣き出して、交代してしまう異様な雰囲気。

そこにいる誰もが、居たたまれない気持ちになった。

2アウトのまま、最終回だけで3人目のピッチャーが淡々と投球練習をする中、じげんはじっと地面を見つめていた。

声をかけるべきか。

じっと、じげんの様子を見守っていると、先にゆうきが声を張り上げた。

「じげん!顔をあげろよ。まだ試合は終わってないぞ。」

ゆうきの言葉にしては珍しく厳しいセリフだったが、その顔を見るとびっくりするほどすがすがしく笑っていた。

その笑顔はいつまでも忘れられない。

しげんは目を真っ赤にしながらも、それから顔をあげて、今まで以上の大きな声を出した。

そして、最終回裏。

じげんはツーストライクまで追い込まれながらも、そこから必死に4球ファールで粘って、なんとか四球で一塁に出塁した。

「ゆうき頼むぞー!」

じげんは一塁から大きな声で、打席のゆうきに声をかけた。

そんなじげんの様子を見て、監督さんは代走を出そうとしていたのを、少し考えてやめたように見えた。

その後、ゆうきがヒットを打ってランナー1・2塁。

そこで相手側が一軍ピッチャーに代わり、結果は負けてしまったが・・・

じげんは周りが見ていても鬼気迫る執念で塁上を走り回り、相手チームのミスの間にホームに突入して、1点差に迫るホームをもぎ取っていた。

その執念に、最初は「お前のせいで負けた!」と言いそうな口の悪い選手も含めて、みんなでじげんの生還を喜んだ。

後で「結局、じげんヒット打ってないじゃんか。なのに、なんでヒーローなんだよ。」とゆうきが軽口を言うほど、みんながじげんと抱き合っていた。

もちろん、ゆうきも嫌味ではなく、満面の笑みでこのコメントをしたのだ。

確かに、子供のすることではある。

しかし、大人は前もっての準備や危険回避ばかりが上手くなり、目の前のことに必死になることが少ない。

大人にとっては、選手みんなが必死で目標に向かう姿は全てが新鮮で眩しく、子供から本当に大切な事を学んでいるような気持になる。

「よかったなぁ。じげん。ゆうき。」

寒空の中、子供たちの熱気を感じながら、ふと呟いていた。

小学生の野球チーム

野球チームの勧誘チラシ

「とうちゃん。学校でこんなの配ってたよ。」

じげんが鼻を鳴らして、少年野球チームの勧誘チラシを持ってきた。

わたしは瞬時に心の中で色々な考えが浮かび、そして、じげんを見た。

すでに何度も、お母さんと話をしていたので、答え(覚悟)は決まっている。

じげんもわたしの目を覗き込むように、まっすぐ顔を見ている。

少年野球のチームは月に2000円と非常に安いお月謝にも関わらず、毎週土日祝日の朝から晩まで子供たちに野球を教えてくれる。

その活動の中では、単に野球の技術習得だけでなく、先輩後輩という社会勉強や、ルールの順守の大切さ、仲間と一緒に目標に向かって進む経験、そして、最後まで諦めない強いハートも身に着けられる。

反面、お父さんはその活動にほぼ付き合う事となり、自宅から自分の子供を練習する小学校に送るだけでなく、チームの野球道具を預かったり、チームが別の小学校に移動する時に他のチームの選手を一緒に配車で送ったり、審判やコーチをしたりと仕事がある。

お母さんも、お茶やスポーツドリンクや非常時の救護で、当番で土日に参加が必要だったり、連絡係・合宿係・会計など色々と仕事がある。

「やりたい?」

「うん。」

「じゃあ。試しに行ってみる?」

「うん!」

じげんは、スキップしてランドセルを片付けに行った。

しばらくすると、ゆうきもやってきた。

「とうちゃん!とうちゃん!じげんから聞いたかもしれないけどね。」

「ああ。野球のこと?」

「そう!」

きらきらした目で見られると、土日の多少の苦労もまあいいかと思えてくる。

「あのチラシ。ほんとは僕が見つけたんだよ。でも、とうちゃんに見せようかと考えてたら、その間にじげんが持って行っちゃったんだ。結果的にはよかったけど。」

「ふーん。そうだったんだ。とうちゃんが困ると思った?」

「うーん。そうだね。」

ゆうきは長男という立場を気にしているのか、5年生になってから大人が困るようなお願い事をあまりしなくなった。子供に変な気を使わせているのは親として、ちょっと反省。

結局、次の土日に二人で体験入部することになった。

野球チームへ体験入部

5月なのに、その日は冬のようにピーンと空気が張り詰めるような寒さだった。

「寒いね。大丈夫?」

ふたりに言うと、二人は目の前の野球チームに興味津々で「何のこと?」という感じだった。

「へえ。5年生で初めてと聞いていたのですが、どこかのチームで野球していたのですか?」

気さくな野球チームのコーチが声をかけてくれた。

「いえいえ。時々、近所のお兄ちゃんとキャッチボールする程度ですよ。」

「もしかして、6年生の鈴木くんじゃないですか?」

「あ。そうです。」

なんと、近所で一緒に遊んでいた1学年上の鈴木君は、この野球チームの一員で、二人に色々と教えてくれる頼れる先輩だった。

コーチの話だと、6年生が8人で5年生が9人なので、公式試合の時には5年生から半分くらい上の学年に付いていっているようだ。

「昔は、各学年でチームが作れたんですけど、最近はどのチームも少子化で・・・」

そのコーチは実は5年生選手のお父さんコーチでしたが、5つ上にお兄さんがいたようで、実質的にこの野球チームに10年ほど関わっているとの事でした。

「色々とお父さんやお母さんの仕事もありますが、みんな出来る範囲で手伝っていく感じなので・・・でも、当番でないけど試合を見に来たりする人も多いですよ。」

ああ。こうやって、なんとなく野球チームの応援をしていくんだろうなあ。

そう思いながら二人を見ると、既にチームの輪に溶け込んで、チームのヘルメットを被ってバッティングしたり、守備で声を出したりしていた。

嬉しそうにバッターボックスに向かう時の、じげんの顔を見ると・・・思わず、家で待っているお母さんに電話した。

「一応。入団申込書もらったんだけど。もう、ここで書いて提出していい?」

「そうなるだろうと思ってたわよ。(笑)」

もともと、双子のお母さんは兄が野球をしていた事から、少年野球の母親の当番がどんなものかも良くわかっている。

その上で、最初から変にやる気満々だと力量以上の仕事が回ってくることも知っているので、今日は男親だけの参加となったのだ。

入団申込書と来月分の会費やスポーツ保険100円を払うなど事務処理が一段落して、また彼らを見ると、ちゃっかり紅白戦のメンバーに入って、それぞれのチームのメンバーと楽しそうに話をしていた。

学年ごちゃまぜなので、6年生がお兄ちゃん役でうまくチームをまとめて転入生でもスムーズに溶け込めるように配慮してくれているようだった。

「ゆうきはフライ取るの上手かったから、今日はライトやってみようか。」

お兄ちゃん選手がうまく選手にポジションを割り当てていく。

いいチームだ。

実は、野球の他にも、この地域でやっているスポーツの事を色々調べていたのだが、どうやら無駄骨になりそうだ。

サッカー、ラグビー、バスケット等の色々な団体スポーツがあったが、やはり客観的に見て野球が一番親の負担が大きい。

しかし、沢山の親御さんがボランティアに入ることから、野球が一番スポーツを通じて学ぶ点も多く、子供も親も色々な経験を通して成長できそうな気がした。

実質、5年生と6年生の2年間。期間限定で子供たちとべったり土日を過ごすのも悪くないかなと思った。

澄み切った空気の中、綺麗な夕焼けを見ながら、子供たちの高い掛け声を聞いていた。

小学校時代

小学校時代のページでは、子供だけでなく親(わたし)も本当に未熟な中で、色々と「ああでもない」「こうでもない」と考えながら、試行錯誤している様子を伝えられればと思います。

※少年野球チーム活動の帰り道、いつも上のような夕焼けを見ながら、「まっいいか。明日考えよう。」と楽観的になっていた事を思い出します。

技術革新や産業構造の変化により、自分が小学校だった頃とは、すべての環境が違い過ぎて、過去の経験を生かすような事は非常に難しい時代になっています。

そういえば、昔は、パワハラなんて言葉もなかったなぁ。それを考えると、本当に良い時代になりましたね。

しかし、人が色々と知恵を出して、より過ごしやすいように進化して良くなった面も多い中、環境問題や政治道徳などすべての環境が良くなったかと言えばそうでもない。

大人の一人としては、子供たちが輝かしい未来を夢見れるように、せめて「希望」だけは与え続けてあげたいですね。

甘いのかもしれませんが・・・

この時代に関する投稿内容

1.興味のエネルギーの巻

2.幼児学習

3.頼り過ぎに注意(私育て)

4.若年受験の是非

5.2020年の教育改革

6.AI時代を生き抜く人間らしさ

7.小学生の野球チーム

8.諦めない執念

9.文武両道は結果

10.卒業前の小旅行

AI時代を生き抜く人間らしさ

人口知能が人間を凌駕するAI時代は、既に現実のものになっています。

飛躍的なAI技術

既に、チェス・将棋に続いて、一番難易度が高い囲碁の世界でも世界トップ棋士を数年前に完全撃破し、人間との闘いを既に引退しました。

そこからの数年間、コンピューターはさらに処理能力が向上しており、深層学習(ディープラーニング)も当時の13層から2000層に進化しています。

既にルールが決められた分野での処理能力では、人間を超えたと言えるでしょう。

また、最近では、人間が得意と言われた精神科カウンセラー業務においてもWEBやメールの自動応答技術で実証実験がされており、人間以上に相談者に寄り添えると高い評価を得ています。

よくある話題で「AI技術が人間から半分の仕事を奪うのではないか」という議論がありますが、現在ではほぼすべての仕事にAI技術が入り込んで来るという予想もあります。

人間としての感性が大切と言われる芸術創作活動にさえ、人間をサポートする役目としてAI技術が入り込んで来る可能性があるのです。

今後は、AI技術と敵対するのでなく、AI技術を仕事のパートナーとして使いこなす意識が大事になってきます。

AIが持てない人間らしさ

こんな恐ろしい進化を続けるAI技術が、克服できないものがあるでしょうか。

AIは24時間365日疲れを知らずパフォーマンスをし続けられる強さがある反面、逆に劣等感等の複雑な感情を持つ事が難しいのではないかと言われています。

人間の弱さこそが逆にAI技術が入り込み難い分野というのは、少し皮肉な感じがしますね。

しかし、先ほどの芸術やカウンセラー分野でも活躍できる事を知ると、この人間のアドバンテージでさえも、ディープラーニングにより克服してしまうのではないかと思います。

AI技術による状況判断

AI技術の発展は多方面に影響を及ぼしますが、多くの仕事がAI技術が入り込んで来ることがわかっているので、教育面でもAI時代を意識した教育改革が2020年から始まります。

これから事務処理等の演算はAIが瞬時に実施して、外国人とは自動翻訳により不自由なく会話できるかもしれません。

人間はこのAI技術自体と争うのではなく、AI技術を活用して、より生産的な活動をしていくことになります。

AI時代が来るとは言っても、全ての業務をAIが任されて判断するには、まだかなりの時間を要するでしょう。

理由の1つは、人間は様々な不確定要素の感情や情状判断に長けていますが、AI技術はまだまだ事前に優先順位などの前提処理があった上での最適解や効率性判断の域を出ていない点。

もう1つは、例え判断処理で人間を完全に超えたとしても、現在の人間社会での主権を人間が簡単にAIに与える事はないという点。

しばらくは、AI技術は人間を高度にサポートする便利なコンピューターの域をでないでしょう。

※最新のAI同士では、既に人間が分からない暗号化された言葉で会話を始めている事例があることから、虎視眈々と主権を狙っているかもしれませんが。

しかし、10年も経てば、資本家たちは、保有する企業が効率的に生産性を上げる方法の1つとして、AI技術による管理者の状況判断という方法を試すでしょう。そして、それにクリアする技術も当然のように進化していることでしょう。

すると、どういう世界になるか。

人間⇒AI技術⇒人間という階層構造が、より明確化になる可能性があります。

つまり、資本家等の管理側と、労働者の二極化がより深刻になるという事です。

資本家とまではいかなくてもAI技術を監督する側の人間となるか、AIに監督される側の人間になるか、これは非常に大きな格差を生むこととなります。

また、人間が、仕組まれたAIの慈悲にすがる構図も見えてきます。

子供達には、まずAI技術を理解し、使いこなせるように準備させたい反面、AIが暴走する社会でも人間の理性を持って逆境に対峙できる精神力も備えさせたいものです。

技術が進化しても、人生が本当に豊かになるかは誰にもわかりません。

そんな事を考えていると、ふと長男のゆうきが次男のじげんに言いました。

「人工知能って、電源切ると痛いのかな?」

「痛くないけど・・・嫌だろうね。」

双子達はそう言って、充電が足りなくなると「お腹減った~」となるのかなと、クスクス笑って友達になりたいなあーと話していました。

さて、ちゃんとAIと友達になれるかな。

2020年の教育改革

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2019年も、もう2か月が過ぎましたね。

2020年も来年の事となりました。

2024年度の大学入学共通テストが、新学習指導要領での初めての入試となります。

直前になって、慌てて対策をしても難しいので、今の内から大きな方向性だけでも親子で理解しておく方がスムーズかもしれませんね。

※ただし、そもそも2020年教育改革自体が真に正しい教育かどうかも、まだ明確にはわかっていません。そもそもの目的である「子供をより成長させる」事を、見失わないようにしていきましょう。

わたしか気になった事を、いくつか書いておきますね。

教育改革の目的

教育改革は以下のような社会の大変化に対するために、日本の子供たちに今の内から知識だけでなく、「考える力」「新しい社会に貢献できる具体的な能力」を身に着けさせることが目的と言われています。

<想定される社会の変化>

①AI技術の発展により、あと10年で半分の職業が機械に代替される可能性がある。

②今の子供の半分以上は約10年先にまだ誰も知らない新しい職業に就職する。

③外国人労働者を多数受け入れて日本経済を運用するため、1/3~1/2の企業は外国人労働者受け入れ始める。

具体的に何が変わる?

文部省の公表情報等から主なものを以下に抜粋しておきます。

・自ら課題を見出して周囲と協力して解決する力が求められる

・知識・技能だけではなく、 思考力・判断力・表現力を重視

・小学校で英語教育開始

・中学高校の英語の授業は、英語だけでする

・英語学習内容「①聞く」「②読む」だけでなく「③話す」「④書く」が追加

・先生の一方通行な授業から、 生徒自身が主体的・能動的に参加する授業に変わる

・ディベートやグループディスカッションの割合が多くなる

・小学校でプログラミングの授業が必須化されて、問題解決のためのプログラミング的思考の学習がはじまる

・新設大学入学共通テストでは思考力・判断力・表現力が問われる問題が出題される

・国語・数学で記述式問題がより強化され、多様なテキストを読み取り、解釈し、複数の情報を組み合わせて考えをまとめたり、的確に説明する力を問う問題が出題される

・AO受験等、多面的な能力や適性を評価する試験が拡大する

・資格・検定試験を活用した受験制度(2024年度以降の英語試験は資格・検定試験に一本化される方向)

ここからフィクション

・・・わたしが難しい顔をして新聞とにらめっこしていると、「ゆうき」が心配そうに新聞の上から私を覗き込んだ。

「とうちゃん。やっぱり塾に行かせたい?」

「え?」

まだ、前のやり取りを引きずっていると思ったようだ。

いかんいかん。

「全然違うよ。ほら。将来の勉強のやり方が変わるってニュースを読んでたんだ。」

「ふーん。面白くなるのかな。ゲームみたいに。」

「まだ読んでる最中だけど、そうなるといいね。」

「うん。・・・・あ。なにそれ!」

じげんが母さんの真珠のネックレスを見つけたので、ゆうきはトレジャーハンターのように宝石箱に向かって走って行った。

教育は子供を教えて育てるという事だが、本当はもっと大切な事があると思う。

子供自身が学ぶ意欲を持っているときに学ばせてあげる事が、本当の成長につながるのではないだろうか。

2020年の教育改革では「徒自身が主体的・能動的に参加する授業」が文部省からも提唱されており、確かに前進しているとは思う。

しかし、いまだに気になるのは、「近い将来の社会の変化に対して、事前に大人が子供に対して教えて育てる方法を変えます」という点。

これ自体も一方的で、子供の真の成長につながるのかがわからない。

むしろ、子供たちに「近い将来、社会の変化があるという情報と課題」だけ伝えて、必要な事は聞いてくれたら調べる方法を教えるから、どうやったら課題を解決できるか5~6人で考えてみようかと子供自体に投げかける方が良いのではないかと感じる。

大人の方が子供よりも優っているから、教えて評価して導く。

この前提自体が、既に間違っているのかもしれない。

AI時代を人間が生き抜くには、もしかしたら子供の方が優位なのかもしれないのに。

人間がAIをパートナーに選ぶ時代を経て、将来、AIが人間をパートナーに選ぶ時代が来たら、AIの管理する会社に人間が就職したり、AIの指示で人間が具体的な作業をする時代が来るかもしれない。

そんな時に、AIは大人よりも従順で将来性もある子供を選ぶかもしれない。

AI時代の成熟期には、AIを使いこなす力がなければ、一部の人間が扱うAIに人間が働かされる事になるかもしれない。

国が考える教育改革も、色々なベクトルがあって決まった事だろう。

それが本当に全ての子供の将来を輝かす力になるかは、結局、子供次第だ。

どん底に落ちても、そこから這い上がる精神力・発想力・情熱・決断力・野生の勘・忍耐力・執念・やり遂げる力こそが大事じゃないかな~と思う。

なんとなくではあるが、根拠のない自信があった。

このゆうきとじけんの二人にとっては、かなり良い時代が来たような気がする。

わたしの根拠のない自信はあたるも八卦あたらぬも八卦の実績だが、楽観的に考える事にして、私は新聞を畳んでコーヒーカップのコーヒーを飲みほした。